野村将希の若い頃は歌手?ヒット曲は?NHK紅白に初出場したのは?

   2017/08/10

野村将希の若い頃は歌手?ヒット曲は?NHK紅白に初出場したのは?というタイトルで綴っています。

こんにちは、みらじです。

野村将希さん = 『水戸黄門』の飛猿?こんな連想をされる方は昭和世代?。でも、飛び猿のはるか前には歌手で、大阪万博の年にNHK紅白歌合戦にも初出場。そう、野村将希さんの若い頃歌手だったんですが、ヒット曲とか憶えていらっしゃるでしょうか。

野村将希さんといえば、今の若い人たちの間では『スポーツマンNo.1決定戦』とか筋肉番付の『SASUKE』のイメージがあるかも・・

確かに、63歳になる今でも筋肉モリモリでハガネのように鍛え抜かれたその体は素晴らしいものがありますよね。

しかし・・・

今回の話は、筋肉系ではない野村将希さんの歌手時代の若い頃にスポットを当てながら、野村将希さんが初出場した国民的歌段組みのNHK歌合戦には、他にどんな人たちが出演していたのかなどの話も織り交ぜながら書いてみたいと思います。

ジジィ化してきているせいか、子供の頃や若い頃のことを思い出しながら書くのって楽しくなってきています。暫しお付き合いのほどお願いいたします。

 野村将希の若い頃は歌手!ヒット曲は?

「野村将希さんの本職は何?」そんな風に尋ねられたら、どんな風に答えます?私なら、躊躇なく「歌手ッ!」って答えるでしょうね。 そう、野村将希さんは、若い頃歌手としてデビュ―、ヒット曲シンガーだったんです。

冒頭でも触れましたが、今の野村将希さんの、あの筋肉イメージとは明らかにかけ離れたスローテンポの楽曲を歌い上げる歌手。 そしてデビュー曲であり、ヒット曲となってNHK紅白歌合戦初出場を果たした曲が『一度だけなら』・・・・(しーん)・・・・・・・あらッ!ノーリアクション?

“いちどだけなら~♪許してあげる~♪” “好きな貴方の嘘だもの~♪”・・・私は今でも、走りの部分までは、よーく憶えているんですけどね。野村将希さんの若い頃のヒット曲『一度だけなら』・・・実は、内山田洋とクールファイブのために作られた歌なんだそうです。

TBSラジオの「たまむすび」に出演した折、野村将希さんが自らの若い頃を語ってた際にそんな話をされています。 本当は別の曲がデビュー曲として用意されていたという野村将希さん。

たまたまクールファイブのアルバムの中の『一度だけなら』を口ずさんでいたところ所属事務所のサンミュージックの亡相沢社長がそれを聞きつけ「これだッ!」ってなって、野村将希さんのデビュー曲しちゃったんだとか。

結局、クールファイブは『一度だけなら』をシングルリリースすることはなく、野村将希さんの持ち歌となってヒットしたというわけなんですね。 他人の歌をヒット曲にし、オイシイ思いをした野村将希さんですが、実は、後にクールファイブの大ヒット曲となった『そして神戸』は野村将希さんのために作られた歌なんだとか。

歌の世界もいろいろあるんですねぇ。ヒット曲をいただいてヒット曲でお返しとはね。 切れのある歌唱力で演歌界の若獅子と称賛を受け、『一度だけなら』をヒットさせて、若干17歳で日本レコード大賞新人賞に輝き紅白歌合戦に初出場となった野村将希さん。

 大阪万博の年にNHK紅白に初出場

デビュー曲がヒット、その年1970年のNHK紅白歌合戦に初出場する野村将希さん。 6月にデビューして、その年の暮れにもう紅白出場。これって大型新人の証ですよね。 そして1970年といえば大阪万博が開催されて日本中が活気にあふれていた年。 大阪万博のシンボルだった岡本太郎さんの作品「太陽の塔」

先日、あるドキュメンタリー番組で太陽の塔の45年後の内部の様子が紹介されてたっけ。見られましたか?。45年も経つと老朽化も激しく、危険な構築物に。未来への夢と希望を託した構築物が無残な姿に変わっていく現実って悲しくなりますね。(すみません話が脱線しちゃいました。)

大阪万博の1970年に、野村将希さんが初出場したNHK紅白歌合戦。白組の司会者は、NHK紅白歌合戦の総合司会でも知られた亡宮田輝アナウンサー。紅組の司会は、亡美空ひばりさんだったんですよね。まだNHKと確執がなかった頃の。

野村将希さん同様初出場だった歌手の人達にはどんな人たちはいたのかというと、野村将希さんよりデビューが1か月早かった“スター”のにしきのあきらさん。 『愛の奇跡』が大ヒットした夫婦デュオのヒデとロザンナの2人。 ジャニーズの先駆者フォーリーブスの4人組、今じゃ大物芸能人として不動の地位にある和田アキ子さん。 1972年の札幌オリンピック のテーマ曲「虹と雪のバラード」で国民的にお馴染みの歌手になったトワ・エ・モワの2人。 宇多田ヒカルさんのお母さんの亡藤圭子さん、 鼻にかかった変わった歌声の日吉ミミさん。辺見えみりさんのお母さんの辺見マリさん。 コロッケのモノマネで知らない世代の人にまでお馴染みになったちあきなおみさん。

このような蒼々たる面々が初出場された方々だったんです。今を思えば凄い人達ですわ。

最も、亡村田英雄さんや亡三波春夫さん、亡島倉千代子さん、亡フランク永井さんなどが、まさに大御所として第一線でご活躍されていた時代ですからね。

ちなみに、1970年、大阪万博が開催された年のNHK紅白歌合戦の視聴率って?な・な・なんと77%だったそうです。 コケまくっている最近の民放ドラマは8%台なんて珍しくありませんが77%ですよ。お化けですよね。

でも、確かに、その頃って紅白歌合戦が待ち遠しかった記憶がありますね。大晦日だけでしたからね、子供が親と一緒に遅くまでテレビを見ることができたのは。

 まとめ

ということで、今回は野村将希さんの若い頃が歌手であったことやヒット曲のこと、1970年の大阪万博の年にNHK紅白歌合戦に初出場したことやその紅白歌合戦に野村将希さんと同様に初出場した面々なども調べてみました。

野村将希さんは、若い頃歌手の道を目指し、デビューからヒット曲にめぐまれましたが、それ以降、歌の上手さとは裏腹にヒット曲連発とはいかず、俳優の道へ路線を変更しています。

約10年に及ぶ鳴かず飛ばずの日々を送った後1980年に修行のために渡米。1982年に帰国後、歌手として使っていた旧芸名の野村真樹から現在の野村将希に改名。後は皆さんもご存知のとおりですが、時代劇『水戸黄門』の柘植の飛猿の役が完全なハマリ役となり再ブレイク。筋肉系番組でも話題になる俳優さんとしてあらゆる世代にウケ続けているわけです。 

最近では、2人のイケメンの息子さん達もマスコミに取り上げられているようです。特に次男の野村祐希さんは、甘いマスクに190㎝の高身長のイケメン俳優。更には、お父さんの将希さんよろしく、鍛え抜かれた筋肉質の体の持ち主。ブレイク間違いなしの素質を持った俳優さんになるのではと周囲も期待しているとか。

最後に

野村将希さんのプロフィール

・本名     野村正樹(のむらまさき)
・生年月日   1952年(昭和27年)11月13日
・干支・星座  辰年[たつ]・蠍座
・出身地    兵庫県尼崎市
・身長     181cm
・血液型    A型
・所属     サンミュージックプロダクション
・家族     妻・長男・次男
・趣味     テナーサックス 日曜大工 他

 

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